446の素人格ゲーブログ

ゲーセンでゲームをするのが大好きなオッサンの日常ゲームブログ!毎週金・土・日更新!!

雑記657.心境の変化

最近、野試合が殆んどなくなり、ゲーセンで対戦する意味があるのか等、僕自身、ゲーセンで格ゲーをすることに悲観的になりつつあります。

当ブログを閲覧してくださる方は、僕の心境の変化にお気付きのことと思いますが、ここ2・3年はほぼ乱入されるということがなくなり、野試合をしようと思ったら、仲間内でまわしている学生や、またはシングルでCPU戦を楽しんでいるオジサマに声を掛けて対戦しないと、野試合すらできません。

それも、野試合できる筐体が少なくなりつつあり、ゲーセンでもオンライン対戦ができるようになってから、急速に野試合できる場所が少なくなっています。

ゲーセン側にとっても、格ゲーなんてオマケで置いているようなものなので、この野試合がほぼないご時世に、お金を使ってもらおうと思うなら、設置面積を狭くして、尚且つオンライン対戦にだけ視野を入れたプレイスタイルの方がインカムを取りやすいので仕方のないことかもしれません。

…まぁね、ゲーセン側だって、慈善事業で経営してる訳ではないので、それは分かります。

僕だって、損益分岐点とかの勉強を今やってますけど、人を雇い、経営していく上で、決断は非常に大事です。

でもね、ここで僕がゲームをしていた理由がより明確になり、正直言うと、格ゲーをする『やる気』がなくなってしまったんです。

僕がアーケードに拘ってゲームをしていたのは、結局『人との繋がり』だったんだなぁ、と。

アーケードでゲームをやってると、色んな世代の人と知り合いとなり、ゲーム以外の話もできる。知り合うキッカケはゲームだけど、ゲームを通して色んな人と出会えることが楽しかったんですね。

多分、今で言うなら一種のコミュニティみたいな感覚だったんだと思います。

それがなくなり、じゃあ自分で集めて身内戦をやろうという話になり、20代後半から10年間、今の今まで格ゲーにへばりついて対戦会なんかをやってきたんですけど、自分でやるとなると、【企画する➡人を集める➡対戦会の実施➡片付け・反省】と自分がゲームをプレイする時間がどこにもありません。

プレイヤーをしながら、コミュニティの一環としてゲームをしていた僕にとって、好きなことをしていたとは言え、けっこうしんどかったです。

でも、若いときはまだ体力があるし、一人だと時間も自由にあったから、それでもなんとかなった。

ただ、状況が一変し、家族ができて、家のこともしなくてはならなくなり、仕事での立場も変わってくると、同じことをすることが苦痛になってきました。

時間がない中、ゲームを一応練習はするけど、対戦会で自分のプレイを披露する機会はない。あっても、今のゲームにはついていけてないので、試合にならない。

そうなってくると、格ゲーと同じように活動している遊戯王OCG(リアルの方)と比較して、まだこっちの方は何とかなるんです。

活動的なものもそうですが、一番は試合。

格ゲーの場合、【知識➡技術➡駆け引き】という感じで試合ができるようになっていきますが、カードゲームの場合、素人同士の対戦ではルールさえ知っとけば、格ゲーみたいな技術はすっ飛ばして、駆け引きで試合が成立する。

故に、経験値を積んでいけば、ある程度予測と駆け引きが可能になるカードゲームに対し、格ゲーは膨大な知識+日々精進しなければならない技術、それができてやっと駆け引きというのを楽しむことができるというのが、…辛いッッ…!

経験を積んで、こう動くとこれがくるというのが分かっていても、格ゲーは技術がなければそれに対抗する策がなく、相手は同じことをして平気でボコってくる。

その技術を身につけて、対策を打つと、手を抜いてましたと言わんばかりに、次の手を打ってきて、またその対策に追われる。

時間があれば、やり込めばある程度それも追い付くんですけど、週に1回、ゲーセンで2時間ぐらいしか練習できない僕では、やっと対策ができてきた頃には、アップグレードされていて、また1からになるという無限ループです。

僕の周りでは、年を取るに従い、アーケードの対戦からリアルのカードゲームに趣味を移行する人が多いけど、最近その理由がやっと分かってきました。

そして、僕も今揺らいでいます。

まぁ、「やりましょう!」という仲間や後輩の声がある限りは続けていきますが、声が聞こえなくなったのを機に少しずつ格ゲーから離れていこうと考えているオッサンなのでした。

まぁ、「だからなんだ?」って言われればそれまでなんだけどね。

オッサンの愚痴を最後まで読んでくれた、あなたに感謝!

それでは、またお会いしましょう!

閲覧ありがとうございました!