446の素人格ゲーブログ

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【第十八話】446と格闘ゲーム~中学生編~

「小学生編が終わってだいぶん経つけど、いつになったら続きを書くんだ!」というご指摘があったので、書きたいと思います。

前回同様、かなり長い話になりますが、最後まで閲覧して頂ければ、これ以上嬉しいことはございません。

では、『446と格闘ゲーム~中学生編~』はじまり、はじまりぃ~。



小学生の時はCPU戦を中心にやっていた僕も、中学生になると次第に対人戦に移行していきます。

この頃は、何に対しても粋がりたい時期だったので、もちろんゲームに対しても舐められたくないという気持ちでいっぱいでした。

ですが、僕のレベルなんて、所詮は鼻くそです。

まともにやりあっても、中級者どころか初心者狩りにすら歯が立ちませんでした。 

中学生になると、僕の地域では周辺の小学校が何個か合体して、色んな場所から学生が集まって来ます。すると、今まで自分の地域ぐらいしか知らなかったゲームの世界が開けて来ます。

そこで、僕は新たな格ゲー仲間の『らっきょ』や『さばみそ』、そして今でも付き合いのある『サラブレッド』と出会います。

3人は、同じ小学校の同級生だったんですけど、僕も格闘ゲームが好きだということで、仲間としてすぐに僕を受け入れてくれました。

そして、程なくして、学校での話だけでは飽き足らず、「格ゲーをしに行こうぜ!」となったのですが、そこで中坊446は、彼等と自分とのレベルの違いを見せ付けられます。

僕の小学校時代の格闘ゲームと言えば、ビデオ屋やスーパーの中に入っている小さなゲームコーナーで、友達とCPU戦で全クリするというのが主な楽しみ方だったのですが、彼等はCPU戦は全クリできて当たり前、対人戦で勝利してこそ正義のコテコテの格ゲーマーだったのです。

当然、僕とはやって来た環境が違うので、小学生の時はそこそこイケイケだった僕ですが、中学校に入り、彼等とのあまりものレベルの差に落胆します。

ちなみに、当時流行っていた格ゲーと言えばこれ

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ヴァンパイアセイヴァーやスト3サードなんかは、今でもネシカに配信されているタイトルなので、若い方もご存じの方が多いのではないでしょうか。

僕が中学生の時は、ちょうどこういう格闘ゲームが流行っていて、ここに紹介している格闘ゲームは、当時ものすごく対戦が盛んだった格闘ゲームです。

これらの格闘ゲームは、CPU戦は昔の格闘ゲームと比べると、だいぶん簡単になっています。序盤は遊ばせて、後半になると徐々に難しくなっていき、ラスボスだけ鬼というパターンのCPU戦が主流となりました。

しかし、対人戦では複雑な駆け引きが生まれ、おまけにバグを利用した技術が公式のテクニックとして浸透し、飛び道具を撃たれるだけでも幾つもの選択を迫られるようになり、経験だけではなく、格闘ゲームに関する知識と技術がなければ、とても太刀打ちができなくなりました。

ある意味、格闘ゲームを通して自分を表現していた僕は、井の中の蛙大海を知るではないですけど、自分が如何に格闘ゲームを知らなかったのを思い知らされました。

まぁ、この現状を打開するためには、自分も彼等と同じレベルになるために、練習して自信を取り戻すしかありません。

ちょうど、粋がっている時期だったので、他人に舐められたくないという気持ちから、自分で調べられる範囲で色々調べつつ、ゲーセンで使うお金は新聞配達などで稼ぎながら、3人に追い付くために必死に頑張りました。

僕の家は、なかなかの貧乏だったので、家庭用ゲーム機など買ってもらえませんでした。なので、お小遣いなど当然なく、通っていたゲーセンには電車で行っていたので、その為にはお金を稼ぐ必要があったんですね。

まぁ、この熱意を別の方向へ向けれたら、少しはまともな大人になっていたのでしょうが、好きなものにベクトルがいくのは、誰だって同じでしょ?

で、ようやく彼等と、対等とまではいかなくても、少しは戦えるようになって、僕の実力を認めてくれた『らっきょ』が「そろそろ本番行こうか」と言ってくれたんです。

本番の意味が分からなかった僕は、首を傾げながら着いていくと、小さな雑居ビルの1階に何やら聞き覚えのある音が聞こえて来ました。

そう。そこは、個人が経営しているゲーセンだったのです。

今まで、ビデオ屋やスーパー、そしてチェーンのゲームセンターは行ったことあったのですが、個人のゲームセンターなど行ったことありませんでしたから、素直に感動しました。

経営者は、40代ぐらいの夫婦で、どちらも格闘ゲームが好きで経営を始めた方なので、物凄くゲームに対しての愛もあり、居心地の良いゲームセンターでした。

ただ、みんなとんでもなく強かった。

個人のゲームセンターと言うのは、経営者からしてゲーマーというのが多いです。僕が行っていたお店も、ご夫婦ともにある程度戦える人でした。

すると、そこに集まってくるプレイヤーも、生半可な人は居ません。最低で「この格闘ゲーム対戦できます!」っていう人が乱入してきます。

やっと、牽制とコンボを覚えたぐらいの中坊446は、失いかけた自信をようやく取り戻そうとして、またことごとく粉砕されました。

ですが、他の3人を見ると、彼等も僕と全く同じだったのです。

その当時、僕の仲間の中で一番強かったのは『らっきょ』だったのですが、その『らっきょ』ですら、そのゲームセンターではボコボコにされていました。

でも、『らっきょ』はやられてもやられても楽しそうにゲームをやっていました。そして、それは『さばみそ』や『サラブレッド』も一緒だったのです。

僕は、そのとき思いました。何故、彼等は自分がやられているというのに笑っていられるんだ?と。

最初は、怒りを通り越して笑うしかないのかなと思っていたのですが、帰りの電車で彼等の話を聞いていると、自分が負けたことへの怒りなどはなく、自分のプレイの反省や他人のプレイの称賛ばかり。

当時の僕は、どうして彼等がそういう気持ちになれるのか、全く分かりませんでした。

その当時の僕は、自分の気持ちのそれが他人のプレイに対する嫉妬や悔しさだということをまだ分からなかったのです!

そして、中学3年になり、とうとうこの格闘ゲームが稼働します。

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ギルティギアゼクスです。

当時、カプコンSNKが2D格ゲー界の重鎮とされていましたが、その世界にアークシステムワークスという会社が殴り込みをします。

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この画像からは分かりにくいかもしれませんが、当時はギルティゼクスより美しいグラフィックの格闘ゲームはありませんでした。

その美麗かつ繊細なグラフィックに誰もが魅了され、瞬く間にギルティは人気格闘ゲームへとのしあがっていきます。

当然、面白そうなゲームは触りたいという気持ちにかられるのが子供というものです。中坊446は、みなが列をなすギルティの列に列び、最初は楽しくゲームをプレイしていました。

しかし、この格闘ゲーム僕には物凄く難しかった。

スタートラインはみんな一緒でも、やり始めると徐々に差が生まれてきます。

知識や経験、技術が手探り状態の中で、勝つことができる人というのは、ゲーム中にすぐ対応できる反射神経と相手の技や自分の技をいち早く理解する観察力が必要です。

情報を素早く頭にまとめ、それを試合で表現できるというのは、もはや才能という他ありません。

僕は、そこでも負けまくり、自分にはゲームの才能はないのだと思い知らされます。

で、逃げるようにし始めたのがこのゲームたち

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理由は、乱入する人があまり居なかったというのと、CPU戦が楽しかったからです。

ただ、この格闘ゲームも対人戦になると厳しいです。

ご存じの通り、マブカプ2には凶悪なアシストによる攻めと、特定のキャラには強力な永続コンボがあります。

センチネル・ソンソン・マグニートー・アイアンマン・ウォーマシン。ここら辺は、今でも脳裏に思い浮かべるだけで、あの頃の恐怖が甦ります。

はっきり言って、対策を知らず、永続もできず、アシストも使えなかった当時の僕は、粉砕どころの騒ぎではありません。

ギルティゼクスで上級者たちにやられた人達が、腹いせにマグニートーとウォーマシンでフルボッコにしてきます。

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懐かしいですね。それでも、この技を何とか相手に当てたくて、当時は頑張ってました。

相手は、流れでガンガン攻めてきますから、防御からの切り返しのタイミングを知らなければ、あっという間に崩されて、パーフェクトで負けることもありました。

いやね、本気で泣きたかったです。

今思うと、中学時代の敗北があったからこそ、おじさんになって、考え方やプレイスタイルも柔軟に考えれるようになったのかなと思いますが、当時は悔しくて悔しくて仕方ありませんでしたね。

まぁ、自分の弱さを認められず、他人の強さから目を背けている内は、実力なんて手に入らないなんてよく言いますが、この頃の僕はまさにその手に入らない人間でした。

餓狼MOWもそうでした。

当時の僕は、一番使いやすいということからマルコを使っていたのですが、まぁね、多かったのはカインとグラウドの判定&飛び道具の強い2人からの猛襲ですよ。

しかも、この2人は隠しキャラということもあり、人気がありました。

そんな中、僕はこの技を当てようと必死だった

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ちなみに、マルコの龍虎乱舞は連打することにより、ヒット数が伸びます。

当時、対人戦に触れてボロボロだった僕の唯一の拠り所だった格闘ゲームは餓狼MOWでした。

でも、当然この格闘ゲームも月日が経つに連れ研究が進み、知識ややり込みで差が出てきます。

そうなってくると、今度はもう格闘ゲームが嫌になってくるんですね。

やってもやっても先が見えないし、練習しても練習しても次の課題が出てくる。

戦っても戦っても、友達やそのゲーセンに居る人達との差は埋まらず、僕は自暴自棄に陥ってしまいます。

でも、友達と居る時間は楽しかったので、格闘ゲームは嫌になっても、ゲーセンには行ってました。

でも、いつからだったか、最後の方は格闘ゲームをやらなくなっていましたね。

そして、中坊446は、中学卒業と同時に格闘ゲームをやらなくなりました。

次回・高校編に続きます!

閲覧ありがとうございました!