446の素人格ゲーブログ

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【物語雑記】ギルティギアイグザードレベレーター

この前、隊長さんの家で身内戦があるということで、ちょっと行ってきました。

そこで、「まだ、レベレーターのストーリーのことをブログに書いてないんですよ」という話を隊長さんにしたら、「ふぅん、じゃあ見る?」と仰って下さったので、追加分まで全部ストーリーを視聴させて頂いたのですけど、僕が想像していた話とだいぶん違いましたね。

話を聞くと、アーケード版のサインのラスボスはラムレザルですけど、ストーリーのラスボスは3面ぐらいのデモで出てきた元老院のオジサンで、今回は聖帝様がラスボスでした。

個人的な感想ですけど、聖帝様みたいな悪役はめっちゃ好きですね。

知らない方に、ちょっとだけ聖帝様のネタバレすると、聖帝様は人間嫌いだから、人間が貪る今の世界をぶっ壊して、新しい世界を作ろうとしてたんです。目的がそれだけだったら、一気に世界滅亡させて終わりって話なんですけど、聖帝様は人間が嫌いなのと同時に人間をスゴく憎んでるんです。だから、人間に自分を信頼させて、世界を滅亡させる前に「実は私が世界各地で暴動起こしてた犯人でしたー。今から、貴様等、全員消しまーす!キャハ(*≧∀≦*)」みたいなこと言って、人々を肉体的にも精神的にも追い詰めるんですね。

まさに、悪役の鏡です!

世の中には、色んな悪役がいますが、アークさんの創る悪役は、個人的にみんな好きなんです。

僕が二面性があるキャラが好きっていのもありますけど、悪役を中途半端にしないところとか凄く良いです。

最近はね、最初は凄く悪ぶって出てきたのに、あとからそこまで悪くない、中途半端な悪役が多いじゃないですか。

でも、聖帝様で例を取るなら、人間めっちゃ憎んでるワケですから、だったら人間が一番絶望する方法は何か考えて、精神的に追い詰めたあと、そのもがき苦しむ姿を酒の肴にしながら、世界が崩壊する姿をじっくりと眺める。こういうことって、人間憎んでるなら普通にやると思うんですよね。

でも、最近のB指定のゲームはそういうのをやらない。

格ゲーなんか、本当に顕著ですよ。ベガなんか、最近そんなに悪い人に見えないですもの。設定読み返して、「あぁ!このオジサン、肩パットの人じゃなくて、シャドルーの統帥だった」って思い出すほどです。

まぁ、その背景には、少年に犯罪を助長させる思想を植え付けるからとか、そういう根深い理由がね、あるんでしょうけど、そこはアレですよ。ちゃんと、大人がアニメやゲームの内容を、表面だけじゃなく、中身をちゃんと理解させることにあると思うんです。

残虐描写や性描写ってのもね、18禁じゃない限り、大抵そこにはちゃんと意味がある。

でも、子供は内容よりもその表現のインパクトが強すぎて、そっちだけが印象に残ってしまう。そして、不思議なことに、そういうのに憧れを抱いてしまう。

例えば、ヤンキー漫画。あれだって、ただ「ウラァッッ!!」って暴力を振るってる訳じゃないでしょう。そこには、友達が悪いヤツにやられだだの、暴力を振るわなければならない、ちゃんとした理由があるんです。

そういう作者の言いたいことをね、物語を通して子供に考えさせるのが、われわれ周囲の大人の役目だと思うんです。

これができればね、表現の自由がどうとか、そういう討論も起きなかったと思うんですよ。

格闘ゲームがね、暴力的なゲームって言われることもなかったと思うんですよ。

ん?待て、待てよ!

アレって確か、当時のPTAが言ってたな!

って、かなりハナシ脱線しちゃいましたね。

ともかく、今度レベレーターの話を書きます!

閲覧ありがとうございました!