446の素人格ゲーブログ

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【検索241】ナコルルの能力考察

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今回は、「ナコルルの能力考察」とあったので、それについて書いていきたいと思います。

と言っても、あくまで僕がナコルルのエンディングやショートストーリーを見て考えたことなので、全てが正しいという訳ではありません。このブログを1つの参考にして頂ければ幸いです。

それでは、さっそく書いていきましょう!

まずは、初代サムスピナコルルの参戦のキッカケとなるストーリーがゲーメストの増刊に掲載されていたので、それをご紹介したいと思います。

ゲーメスト増刊の初代サムスピムックに掲載されているナコルルのストーリー⬇

旅立ちのカムイノミ(神事)は夜通し続いていた。明け方には、村の宝刀チチウシと守護鷹ママハハと共に旅立たなければならない。村の未来を彼女に託し、必ず良い知らせを持って帰ってくれるだろうと、期待に胸を膨らませる村人の視線がナコルルには辛かった。

話は数ヵ月前まで遡(さかのぼ)る。

彼女は自然の声を聞くことのできる巫女の家系に生まれた。歴代の巫女の中でも秀でた能力を持っていたナコルルは、数日前から自然の声が悲痛か悲鳴に変わっていくのを感じ取っていた。大自然の声はナコルルに教えてくれた。「魔性のものが、我らを死に至らしめようとしている。このままでは、そなたの故郷カムイコタンだけではなく、全世界が破滅に導かれるだろう」と。

本当は旅立ちたくなかった。しかし、自然を愛する人々を救うためには元凶を断つしか方法はない。

血を流す以外に方法があるのならば、そちらの方を選択したかった、と儀式の直前ナコルルは祖父母に語った。人を傷付けることを嫌う少女は今、優しい村人たちのため、そして、敬愛してやまない大自然のために自分の気持ちを抑えて旅立とうとしていた。

「エモニ(長老)、フチ(おばあさん)、行ってきます。もしママハハがチチウシを持って帰ったら、その時はー…」

守護鷹ママハハが村の宝刀チチウシを持って帰るということは、所有者の死を意味する。戦士であった父が帰らずに、宝刀チチウシだけが戻ってきたように。ナコルルの最後の言葉が発せられることはなかった。心配そうに見守る祖父母を元気づけるかのように、彼女は一転して明るい表情をみせた。

「大丈夫、わたしは死んだりなんかしないわ。きっと帰って来る。大自然の敵を倒して、ママハハと宝刀チチウシと一緒にね。それじゃあ、行ってきます!」

迷いのない笑顔だった。心の中のわだかまりを捨て、自分の使命を真っ直ぐに見据えた、そんな表情だった。

朝日が雪に反射してキラキラ輝くその日、ナコルルは祖父母に向かって大きく手を振り、故郷を離れた。必ず戻ってくると心に誓って。

(ゲーメスト増刊・サムライスピリッツP28参照)

ここにあるように、ナコルルの能力の1つとして、まずは「自然の声が聞ける」というのがあるようです。

もともと、透視術や巫女の力が優れた家系ということもあり、霊能力と言いましょうか、そういう能力が歴代の中でも高いそうなのですが、これだけでは彼女がどんな能力を持っていて、どのようなことができるのか。そういうのがイマイチ見えてこないと思うので、次はナコルルのエンディングやデモを見ていきたいと思います。

■真サムのナコルルエンディング⬇

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サムスピナコルルのプレイされた方には有名なエンディングだと思いますが、これ、一体ナコルルは何をしたかというと、ラスボスであるミヅキは倒したものの、ミヅキの影響で地上に出てきた魔物達の脅威は治まっていなかったんです。そこで、ナコルルが自分の身を呈して魔物を浄化し、もとの世界戻して物語は終焉を迎えます。

無論、ナコルル以外にも、和狆おじいちゃんや黒子さん、あとはズィーカー達の活躍もあったのですが、それでも世界中の脅威を治めることができるなんて、和狆やズィーカーが自分達の居るところのみを治めていることに対し、ナコルルは世界中の魔物の浄化にあたっているわけですから、ナコルルの能力はどんだけ高いんだって話ですよね(笑)

この真サムのエンディングは、当時の少年達(つまり今の僕の世代)にとって衝撃的ラストだったのですが、もっと衝撃を受けたのはそのあとでした。

真サムで世界の犠牲になったと思われていたナコルルは、真サムの次の時代に当たるポリサムで復活します。

その理由がまたスゴかった。

魔物を浄化したことにより、その身を呈したと思われていたナコルルでしたが、実は自然の中で眠りについていただけということが判明!

もうね、「開発スタッフめ、あんたらナコルル出したいからって後付け設定し過ぎだろ、真サム時の感動は一体なんだったんだ!」と当時は思っていましたが、物語を制作されている方がそう仰るのですから、その世界ではナコルルは眠りについていたんです!(笑)

なので、真面目に能力の考察をするならば、ナコルルは自然の声が読み取ることができるだけでなく、もしかしたら自然の意思を共有できるのかもしれませんね。だからこそ、真サムで魔物を浄化するときに力を使い果たしても、自然がナコルルのことを想い、力を貸してくれた。

そういう見方もできるのではないでしょうか。

そして、物語の最後にあたるサムライスピリッツ新章~甦りし蒼紅の刃~では、ついにナコルル聖霊化します。

能力とかそういう問題ではない気もしますけど、時空を越えてやってきたため、この姿になったとか、ならなかったとか。

聖霊ナコルル

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これは最早どういう能力なのか、描写もないので読み取ることができませんが、蒼紅の大熊猫のエンディングではナコルル覇王丸に向かいこう答えています。

「…もう…私はあの人と同じ時間を歩むことはできないですから…」

ここから察するに、ナコルルは時空を越えるため、自然の力を借りて聖霊化した、つまり自然の力を借りれば、ナコルルの身体を媒体にしなければならないリスクはありますが、とりあいず何でもできるようです。

ナコルルが困ったときに必ず言う言葉、カムイというアイヌ語は、もともと「神」という意味があるようですが、ナコルルはそんな自然の神様と交信ができ、尚且つその力を借りることができる能力があるようですね。

それが、ナコルルの扱うことができる巫術や観自在・透視術と呼ばれるものなのでしょう。

はい。めっちゃ簡単に書きましたが、まとめてみました。

格ゲーなので、設定が多少ふわふわしているのは仕方のないことだと思いますが、それでもこの当時の格闘ゲームにしては設定がしっかりしています。

格ゲーの良いところは、あくまでアクションゲームなので、設定に固定概念がなく、プレイヤーによって能力の解釈が自由に想像できるところだと思います。

あるクリエーターが言っていました。

「僕達は物語を提供しているだけであって、話を1から10まで書いている訳ではない。僕達の物語のテーマを読み手は自分なりに考えて、そして想像して欲しい!」と。

物語を見てもらうということは、イコール読み手に共感してもらうだけではなく、話を通して想像させるということがテーマになる(答えを出したら、それは単なる資料になっちゃいますしね)訳で、ナコルルの話にはそういうのが特に沢山詰まっています。

たまには息抜きに、昔のゲームでもやって、資料を漁りながら、キャラの考察をしてみるものも楽しいと思います。

格ゲーは、対戦するだけが楽しみではない!

たった1つのタイトルに、既存するキャラクター一人一人の物語を楽しめる。

そこにも魅力があると、僕は思います。

それでは、またお会いしましょう!

閲覧ありがとうございました!