446の素人格ゲーブログ

ゲーセンでゲームをするのが大好きなオッサンの日常ゲームブログ!毎週金・土・日更新!!

【お題1】老いも若きも自由研究

今週のお題「わたしの自由研究」

はてなブログでは、こういうのやってるんですか!

いやぁ、いいですね。

僕、こういうお題出されてブログ書くの好きですわ。

お題初挑戦ということで、何も準備をしていないので、思い付きでしか書けませんが、僕のブログのテーマが『素人の格闘ゲーム日記』ですので、そのテーマを入れた上で思い出話をしていきます。

『自由研究』と言えば、僕は小学生の頃を連想するのですが、まぁ毎日なにも考えずに、近所の友達と遊んでいたので、正直全くやった覚えはありません。

夏休み終盤になって、自由研究をやってないことに「ハッ!」となり、友達の自由研究の欄に僕の名前を入れてもらい、僕は何もやっていないのに、宿題をやったことにしてもらうという、今から考えるととても卑怯なことをしていました。

さて、その友達。タロシャンっていうんですけど、僕がそんな卑怯なことをする人間なのに、何故僕にそんなに優しかったのか。

普通なら、「お前、何もやってないくせに、なに調子乗ったこと言ってんだ!」ってなりますよね。

なのに、タロシャンは嫌な顔せず、僕の名前をいつも自由研究の協力者の欄に入れてくれました。

そう。彼には、僕を他のことで利用する価値があったんです。

彼は、その当時で今の僕ぐらいの知識がある格ゲーマニアで、正直、その頃小学生だった僕等ではついていけないレベルでした。

タロシャンの格ゲーに対する情熱は、並々ならぬものがありまして、周囲にそれを伝えようと奮闘するんですけど、説明がマニアック過ぎて周りに伝わらない。

今は、eスポーツとかでまた小学生でも考え方が変わっているかもしれませんが、僕等が小学生の時の格ゲーと言えば、CPU戦がメインで、「ゼロ2の真豪鬼やっとだせたぜ」とか「真豪鬼をザンギで倒してやったぜ!」とか、そういう程度の低いもの。

タロシャンとしては、対戦の楽しさにみんなに目覚めて欲しいので、日々フレームとかモーションとかそういう格ゲー用語を使い、身ぶり手振りで友達に熱く語るのですが、できない人間にそんなこと言っても、自慢にしか聞こえず、やがてタロシャンは疎外されます。

そんな中、僕はタロシャンの言葉に耳を傾けていたので、彼は僕に優しかったんです。

そして、六年生の夏。

タロシャンは、私立の中学に行くとかで、地元を離れることになるので、思い出に残る自由研究がしたいと僕に提案してきました。

僕は、「そんな面倒なことは嫌だ!」と思いましたが、タロシャンにはいつもお世話になっていたので、義理で手伝うことにしまして、「なにすんの?」と聞いたら、なんと格闘ゲームと言うじゃありませんか!

…えっ?ゲームで自由研究ってなにすんの?と、当時の僕はハテナマーク全開ですよ。

するとタロシャンは、当時流行っていた、XメンVSストリートファイターというゲームを出してきて、各キャラの技を1つ1つ検証していこうと言い出した。

コイツは一体なにがしたいんだ?と思い、僕はどういうテーマの自由研究か聞くと、タロシャンは熱く答えました。

「みんなの話を聞いてるとさ、波動拳は飛び道具、昇龍拳は対空迎撃、竜巻は突進だからコンボの締めとか決め付けちゃってる感じがあるんだよね。でも、波動拳みたいな飛び道具だって、ちょっと先読みで出せば対空迎撃になるかもしれない、昇龍拳は無敵を利用して相手の技を回避する行動が取れるかもしれない。技の検証していって、みんなの持つ技の固定概念を壊したいんだ!」

正直ね、僕はその時思いましたよ。

ムック(攻略本)に書いてあるから、そういうのよくね?ってね。

でも、これ違うんです。自分達で調べてやるから、発見があるんですね。

ムックに書いてある記事はあくまて知識であって、「へぇこんなこともできるんだ」で、大体素人は止まります。だって、そこまで知らなくても、CPU戦は全クリできるし、対人戦だってなぁなぁレベルの対戦ではそんなに性能の知識はいらなくても遊べるから。

友達同士の対戦なら、尚更ですね。

ゲームの遊び方は人それぞれで、対人戦を強要することはできない。

でも、各キャラに設定されている技が、自分の考える性能以外のこともできたら、その性能を試したくなって、対人戦に目を向けてくれるようになるのではないか、とタロシャンは考えたのです。

しかし、これが、もうね、途方もない作業で、ジャンプしている相手に技を重ねてみたり、地上に居る相手に技を重ねてみたり、距離を変えて技を出してみたりで、本当に面倒くさい。

それを1体1体違うキャラでやっていくんですから、何万通りあるんだよって話です。

途中から僕は訳がわからなくなって、タロシャンに言われた技のコマンドを入力するという作業をしながら、今日の夕飯は何だろうとか考えていましたけど、夏休みが終わる頃、その研究が完成したとき、タロシャンは僕にファミレスで飯を奢ってくれまして、「ありがとう!446のお陰で良い自由研究を発表できそうだよ!」と嬉しそうに語ってくれました。

しかし、残念なことに、そのタロシャンの自由研究が陽の目を見ることはありませんでした。

まぁ、今で言うなら、スマホゲーを毎日やって、これだけのダンジョンをこういう攻略でクリアしました、みたいなもんでしょうから、大人には、というより、ゲームをしない人には研究と呼べる内容ではなかったのでしょうね。

それを理解されないことに、タロシャンは号泣しまして、…よっぽど悔しかったんでしょうね。

ゲーム関係の会社に入社して、今もバリバリ頑張っているみたいです。

今、思い返すと、タロシャンほどの情熱は、僕にはありませんが、何事もやり遂げることにより得れる楽しさをタロシャンから教えて貰った気がします。

自由研究の目的が『自分が気になったことを納得するまで調べることにより、子供にやり遂げることの意味を考えてもらう』ことならば、僕は六年生の時にタロシャンと夏休みにゲームの自由研究で過ごしたことにより、考え方を変えることができたので、自分の今の人生に大きく影響したと考えています。

社会人になれば、責任は自分で取らなければなりませんから、何事もやり遂げる強い意志が必要になる。

その時、やり遂げる意味とは何なのか、この自由研究を通して何となく分かった気がするのでね、タロシャンには感謝の気持ちしかありません。

ということで、今回はここまで!

それでは、またお会いしましょう!

閲覧ありがとうございました!